JALSAとは

会長挨拶


御挨拶


日本ALS協会は1986年に設立され、私は第7代会長を任されることとなりました。身の引き締まる思いがしております。

私は35歳でALSを発症するまで、いわゆる「障害者」と呼ばれる方とほぼ接点なく生きてきました。今振り返ると、どれだけ視野の狭い世界で生きていたのかと言わざるを得ません。

当事者と家族の言葉に出来ない絶望、その絶望を受容する人、それを支える人。私はメディアを介さない人間ドキュメンタリーを何度も何度も目の当たりにしました。これらはALSに限ったことではありません。

障害者の世界は健常者と呼ばれる人々の世界とは全く違います。そもそも健常者の尺度では測れません。苦しみも踏み込まない限り理解出来ないし、幸せも同様です。指一本動かせない身体であろうが、どんな身体状況であろうが幸せを感じる瞬間はある!「それが人間である」と私は先輩障害者から学びました。

障害者も健常者も同じ人間なのです。そもそもこれらの言葉の括り方がおかしいのです。世の中はSDGsとかダイバーシティ&インクルージョンなどと言っていますが、はっきり申し上げて障害者の社会的地位は社会の底辺にあります。理由は明白です。障害者は「健常者の」社会に参加していないからです。私が35年間そうだったように、障害者は別世界の存在だと思われています。

私は「幸運な出会い」と「先輩障害者が勝ち取った、権利としての制度利用」と「自身と家族の努力」によって、こうして僅かばかりの社会活動が出来ております。けれどもより多くの障害者が社会に入っていかない限り、障害者の可能性は認知も理解もされません。私のような視野狭窄で生きてきた者は先輩障害者の志を継ぐ責務があると思い、今回この大役に手を挙げさせていただきました。

私は経営者の端くれです。経営論に基づき、日本ALS協会をより良くしていきます。まず患者・家族の生活のために動きます。また、社会的地位に恵まれていない多方面の方々と手を携え、各々の社会参加を推進します。さらには我々の実情を国民の皆様に知って頂きます。知って頂けることで皆様からご意見をいただき、我々が社会貢献する術が新たに生まれる可能性ができます。逆に我々だからこその視点から提案もさせていただきます。

日本ALS協会の定款の目的には、「国民の医療及び福祉の向上に寄与すること」

という記載があります。我々はALSにとどまらず、全体利益に繋がる活動をいたします。そんな社会実現のために国民の皆様全てに入会をお願い致します。またメディアの皆様には日本ALS協会の活動にご注目頂きたいです。何卒よろしくお願い致します。

令和4年5月28日

一般社団法人日本ALS協会会長 恩田 聖敬(おんだ さとし)

【恩田聖敬略歴】


1978年岐阜県高富町(現山県市)生まれ。京都大学大学院航空宇宙工学専攻修了。高校・大学生活の大半を合唱に捧げる。新卒入社した上場企業で、現場叩き上げで5年で取締役に就任。その経験を経て、2014年4月FC岐阜の社長にJリーグ史上最年少の35歳(当時)で就任。現場主義を掲げチーム再建に尽力。就任と同時期にALS発症。2015年末、 病状の進行により職務遂行困難となり、やむなく社長を辞任。翌年『ALSでも自分らしく生きる』をモットーに、ブログを開設して、クラウドファンディングで創業資金を募り、2016年6月(株)まんまる笑店を設立。講演、研修、執筆等を全国で行う。著書に『2人の障がい者社長が語る絶望への処方箋』。2018年8月に気管切開をして人工呼吸器ユーザーとなる。日本ALS協会岐阜県支部長、岐阜大学非常勤講師、神経疾患音楽療法研究会世話人などを務める。私生活では同い年の妻と2児の父。24時間完全他人介護体制を家族同居で実施中。

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