生き方さまざま

ALS恐るるに足らず / 三保浩一郎さん


広島:三保浩一郎さん

最初に「何かが変」だと気付いたのは、2010年の夏だった。家族で海水浴に行ったビーチでライフセーバーの体験講習のようなものを催しており、家族で参加した。柔道で鍛えた身体には自信を持っていたのだが、砂浜に腹ばいになった状態から合図で起き上がり、砂に刺さった前方のフラッグを奪い取る競技で、一歩目の脚が出ない事に驚いたのだ。共に競技に参加していた娘と妻には「いつもの事」のように見えたらしいが、私の心の中では何らかの歯車が音を立てて崩れた気がした瞬間だった。

発症当時から「恐ろしい病気なのに前向きで凄いですね。」と多くの方に言われてきたが、確定診断後に取り組んだのがいわゆる「闘病記」ではなく、病気と全く関係のないテーマ「郷土広島のオートバイレース史」で、病を忘れる程に取材と執筆に熱中したのが好影響を与えたように思う。また病状の進行に随分と先回りして、いろいろな準備をしたのも良かった。人生最初の胃袋ピアスは体重80kgもある時期に開けたし、喉のピアスも人工呼吸器装着の2年も前に開けて備えた。そういえば現在こうして原稿に向かっている視線入力パソコンもマウス操作が出来るうちに導入する事により、いち早く慣れた。この病気、先輩たちの経験から次に起こる症状が容易に予見出来るので、その準備も可能だ。

人工呼吸器を装着して約10ヶ月がたつが、私の人工呼吸器ライフはそれまでの心配が嘘のように快適なもので、自分でも感じる程にエネルギーに満ち溢れている。同期の内科医の何人かが「人工呼吸器を装着すると地獄のような暮らしだぞ。」と私に忠告したものだが、そんなことはない。人工呼吸器を装着してからというもの、病状の進行はピタリと止まった。いや、むしろ好転したと感じる。誤嚥が怖くて諦めていた食事に再挑戦したり、諦めていたお洒落を楽しんだり、すべての面で「復活」した。私はよく言うのだが、動かぬ脚の代わりに車椅子、摂食嚥下出来ない口の代わりに胃瘻、自発呼吸出来ぬ肺の代わりに人工呼吸器、と多岐にわたるのが病気の特徴なので深刻に考えがちだが、その一つ一つは義足や義手、歯の無い人の入れ歯と同じだと考えている。

日々起きている時間の大部分を車椅子に座り、視線入力パソコンに向かって書き物や講演会の準備に時間を費やす。いや、忘れてならないのが、野球観戦だった。テレビ観戦はもちろん、車椅子席のチケットを確保できた日には車椅子友達と共に自宅から徒歩10分のマツダスタジアムに出向いては、カープの応援に声を枯らす。おっと、声は出んのだった(笑)

私は「療養生活」と呼ばれることや「病人」扱いされることを嫌う。例え手が動かなくとも、喋れなくとも、社会人として生きていきたい。この視線入力パソコンがあれば決して不可能ではないはずだ。明日も私の挑戦は続く。

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◇動画:車椅子目線(→動画のリンクはこちら

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